Sekai In Futon
成長するにつれて頭の中で響く音があった。ずっとずっと、昔のような最近のような、不思議な夢を見ていた。音が大きくなるたび、夢がはっきりしていく。最初はぼんやりと黒い塊にしか見えなかったそれは、人の形だと知った。でも、いくら経っても絶対にはっきりとすることはなかった。度の合わない眼鏡をかけているような感覚。自分はそのすこしぼやけた人をいつも高い目線から見ていて、なんだか幸せな気持ちになった。そんな音と穏やかな夢と一緒に生活してきた。音は、ほんの微かなもので、だんだんと大きくなるといっても日常生活に支障はきたさないほどだった。ただ、それはどこか必死で悲しそうで、誰かを探しているようだった。なんとなく、俺はそれをどうにかしたいと思っていた。何故だかはわからない。愛着だとかそういうものだろうか。俺に愛着という感情があるとは思えないが。どうにかしたいと思ってもここにあるのか、近くにあるのか。そもそも存在しているものなのか、それすらもわからない。これまでに付き合った女の人じゃないのは感覚でわかった。ピースがはまらないような感覚がするのだ。何年も、何かを探しているような日々を淡々と過ごしてきた。そしてある日、よく話す保険医から一人の少年を紹介された。
「海梨幸瑶君だよ。こう見えても同い年!怪我とか学園生活とかこれからよろしくお願い!もちろん、りんもばっちしフォローするからね!」
「……わかった。」
あぁ面倒だ。こんなやつを相手している場合じゃない。俺より小さくて、ボロボロで。ふと、夢の中で見ている人と同じくらいじゃないか、そう思った。さっきから音がうるさい。
「よろしく、お願いします。」
か細く消えそうな声はなぜか懐かしさを感じた。海梨幸瑶と呼ばれた少年は顔をあげる。髪で隠れてほとんど見えなかった恐ろしいほど、綺麗な赤い目が。俺の顔を、目を見た。その瞬間、音が異常なほど大きくなる。痛い。ガンガンとサイレンのように脳内に鳴り響くそれは、一つの答えを導き出していた。そして俺はいつもの夢を見た。これまでにないはっきりした夢を。「やっと見つけた!」と俺の声が聴こえた。
雨がざあざあと降る日だった。すこしクセのある黒髪はすっかり雨に濡れて、顔にはりついている。フードのついたボロボロのマントは血で染められていて。黒い学生服は、俺の大事な人の綺麗な目の様に赤くなっている。血は流れていて、俺はそれを思考のとどまらないぼんやりした頭でもったいないと思った。最愛の主人は俺に抱えられている。胸部から血を流し、青い顔をしていた。彼の夕焼けのように赤い瞳が俺を映すことは二度とない。どこが好きかわからないほど好きで、ずっと一緒にいた。彼もそれを許し、受け入れて、俺を愛してくれていた。俺はすべて彼のもので、けれど彼のすべてもまた俺のものだった。彼に殺されるのなら本望で、俺には彼しかいなかった。彼を守ると決めたのはいつだったか、永遠を誓ったのはいつだったか。「この命を捨てても貴方を護る」と跪いて真剣に言ったのはいつだっただろうか。それでも現実は残酷で、自分を捨て守ることはなく、彼は死んだ。
「軍なんかより祐喜の方が大切だよ。ボクも力があったらなぁ。」
力より頭脳で軍を動かしていた彼は手を見ながらそう呟いていた。
「司令官なのにそんなこといって大丈夫なのかよ。」
二人きりの部屋は、二人だけの世界で、そんなことを笑いながら言った。そんな日々はもうくることはない。俺を護りたいと呟いた彼は、司令官という立場を忘れてただの諜報員を護るために胸に銃弾を受けた。結局俺が護ってもらっただなんて、バカみたいじゃないか。
「俺が生き残っても、お前がいないと意味なんてないんだよ……。」
ぼやけた視界では彼を見ることすら難しい。俺は泣いているのだろうか、柄にもない。彼に会うまでは、いつだって冷静で、非情でいられたというのに。彼の服の中から隠していた毒薬を取り出した。いざとなればこれで心中しようと冗談のように言い合ったときに入れたものだ。けれどそれは決して冗談ではないことを互いに感じた。
「次は、絶対に守るから。隣にいなくても探し出してみせる。」
約束だよ、幸瑶。俺は毒薬に口をつけた。
はっと気づくと、幸瑶は不思議そうな顔で俺を見ていた。夢で見た黒髪とは違う、少し黒のまじった俺とよく似た赤い髪。頭で響く声は依然として鳴りやまない。幸瑶の目を見てから。いや、目の前に立ってからだ。抑えようのない感情が豪雨のように俺に打ち付けられていた。体が震える。名前のつけようがない感情が俺の中でぐるぐると渦巻いていた。ほしいものが手に入ったようで。俺より強かった相手をぶっ殺せたときのような、何か大きなことを達成したときのようで。ふわふわとした真綿のような、けれどズンと重い鉛のような幸福感のようで。逃したくない、逃がしはしないという独占欲のようで。いや、それのすべてなのかもしれなかった。もっとたくさんの感情はあった。絶対に守るという誓いと愛情は今の俺を食い殺してしまいそうなほどだ。俺はそのすべてを、奥深くに閉じ込めて、水面上には決してあらわさないようにしなければならない。声の主が持つ、彼に対しての感情が俺を殺すような気がした。
「……ゆ、祐喜……さん?」
自分の名前を呼ばれただけで尋常じゃない感情が押し寄せてくる。これまでにない多幸感を感じてしまっている。飢えていたものが一気に満たされる感覚とはこういうことなのか。生まれ変わりだとか前世だとか運命だとか、そんなくだらないもの微塵も信じちゃいなかった。けれど、こんなものを食らわせられてしまえば、信じるほかなくなってしまう。
「……よろしく。」
ぶっきらぼうに、冷たく言葉を交わす。声の主と感情が消えたとしても。はやく離れなければ、俺は、きっと、この少年を好きになってしまうのだろう。以前の俺がそうであったように、どうしようもないくらい愛に溺れさせられてしまうのだろう。それがただただ怖い。制御のできない、昔の俺の感情を俺は飼いならせるのか。……いや、彼なしでは生きることもままならないほどに変わってしまうのだろう。確証などなかったけれど、それくらい簡単にわかってしまった。深い深い後遺症を残して、彼のことを愛してやまない俺は、俺の中から消えた。そうして俺の人生の歯車は壊れた。
「幸瑶!」
「あ、祐喜。」
俺はためらいなく幸瑶に抱き付く。うーんこのサイズ感。たまんねぇなぁ。大好きなチョコをむしゃむしゃと頬張る幸瑶は幸せそうで可愛い。いつも可愛いけど。
「祐喜ってほんと、幸瑶のこと好きだよね~。」
「いつも通りって感じがするけどな~!ね、しろにゃ!」
「わかる。」
いつも一緒にいる面子からすきなように言われる。あぁ、あぁ、好きなように言えばいいさ。そう思いながら俺は笑って言葉を返した。
「まあな。俺達、お互いがいないと死ぬしさ!な、幸瑶!」
「そだね。」
「あんたら二人が言ったら冗談に聞こえないから……。」
しろなに少し呆れた顔で言われる。これは冗談なんかじゃない。それは、互いに思っていることだった。昔の俺達もずっとそれを思いながら生きてきたのだろう。これは恋や愛なんて生易しいものではないのだろう。会った当初は逃げようとしたけれど、逃れることができるわけがなかった。
「祐喜?」
抱きしめている腕に軽く力を入れる。もう幸瑶がどこにもいかないように。そんな俺に幸瑶は体を預けた。彼の遺した後遺症は十分に俺を蝕んで、結局俺はそれを喜んで受け入れた。簡単なことだったんだ。俺には幸瑶しかいない。
そして、俺は、次も