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 俺が立派であるようにと厳しく、それでも大事にしてくれてるじいちゃんが好きだった。俺がバカな事をして、じいちゃんに怒られて落ち込んだ時にこっそりお菓子をくれる優しいばあちゃんが好きだった。名家の当主の父さんはいつも忙しくて、母さんもそんな父さんを支えるのに必死だった。両親にかわって俺と、琴音と、慶一を何不自由なく育ててくれた二人が大好きだった。だからその分、結構キツいことを言われた時のダメージもデカかった。じいちゃんもばあちゃんも、怪我する前みたいに接してくれないなってさ、思ってたんだ。
 医者には「右手が満足に動かない今、以前のように戦うことは無理でしょう」って宣告されたけど、俺はどうにか足掻きたかった。こんな体でも周りの役に立ちたかったからさ。
 病院を退院して帰ったら家の皆が冷たかったり、俺に聴こえるように陰口を叩いてたりしてた。何かが崩れていってるのがなんとなくわかった。数ヶ月後に俺がいつも通りリハビリしてる最中、じいちゃんがじっと見てたんだ。その日の夜に、じいちゃんの部屋に呼ばれた。部屋に行って、いつものようにじいちゃんの前に正座して「俺、腕前みたいに動かせるよう頑張るから。」って言ったんだ。
そしたらさ、「不良品に正規品の働きは期待してない。」だってさ。
 それを一言放ってじいちゃんは部屋から出ていった。だだっ広い部屋で俺は一人、思考が停止してた。そりゃ、周りから色々言われてたけどさ。失望した、とか、家の事を考えてない間抜けとか。でもそれだって、じいちゃん達がまだ俺のこと見捨てないでいてくれるから、って思って耐えてきたんだよね。まぁ、バカだよね、俺もさ。怪我した後、見舞いにも来なかったし二人が話しかけてくれない時点で察するべきだったんだよね。……いや、分かってたけど、分かってないフリをしてただけかもしれない。
 取り留めもなくただただ思考を底に落としてたら襖が開いて、ばあちゃんが顔を見せた。あ、ばあちゃんだ、ってぼんやり思ってたら「邪魔だからはやく退いて頂戴」って無表情で言って何処かへ行った。
 そこで漸く理解した。俺は東雲雨音じゃなくって、東雲家の跡取りの長男とだけしか見られてなかったって。じいちゃんとばあちゃんとの思い出を思い返して、もう訳わかんなくなって、苦しくて、頭の中ぐちゃぐちゃで、どうしたらいいんだって泣き喚きたい気持ちでいっぱいだったけど、そんな無様ことしたくないって、見栄張って我慢してた。大切な家族を守るって、そんな悪いことだったかな。
 それからずっと、一人で寝たら毎日二人が夢に出てきて好きなように俺を詰った。どんだけショックだったんだよ、って俺は他人事みたいに思っちゃったりしながらリハビリもしつつ、足技を習い始めた。手が駄目でも脚があるからさ。
それで、じいちゃん達にまた認められたいって思ってたんだよね。でも二人は俺がいてもまるで存在してないみたいに無視をして、琴音と慶一に話しかけてた。ゴミには用がないって言われてるみたいで、結構、精神的にきた。これなら、詰られる方が俺を見てくれてるだけマシだって思った。その日から夢の中でも無視されて、俺が存在してる意味とか、そういうのがなくなってくような気がして怖かった。
 琴音は救護班に入って周りの力になるために夜遅くまで看護の勉強をしてて、司令官を目指してる慶一もずっと学校に行ってたし、そもそも二人は寮に入ってたから話す人が家には誰もいなかったしさ。俺一人だけ怪我してからは寮を抜けて実家暮らし。実家って言っても安心できる場所なんてもんじゃないんだけどね。俺はリハビリの為に学校を休むことが多くなったし、行っても訓練する度前みたいに動くことができないってのをはっきりと理解させられて、ただただしんどいだけだった。他人の笑い声が馬鹿な俺を嘲笑っているかのように聴こえて、ずっと俺を苦しめた。
 そんな時が二年間、中学二年生の冬からずっと流れていた。俺も大分参っちゃって、高二の前には黒軍を抜けた。俺はいてもいなくてもいいような存在だったからすんなり抜けさせてくれたよ。勿論、そんなことすれば親族からの風当たりも余計に強くなって、本当に居場所がなくなった。皆、この穀潰しはいつ消えるんだ、ってそんな顔をしながら俺を見てた。期待が強かった分、それが外れると皆こうなるのかってさ、期待への恐怖が年々強くなっていった。俺の存在を確かなものにしてほしい、けど期待なんかされたくない、何も期待をしないでほしい、そんな矛盾した思いを抱えて俺は居場所を探した。
 曇り空のある日、一人で野良猫に餌をやってるとき思ったんだ。敵地に身元を隠していけばいい。理由なんかでっち上げてしまえばいい。その日の深夜に俺は昔使っていたナイフ一本と財布だけを持って家を抜け出した。俺は昔双剣使いだったから傍にもう一本あったけど、もう右手が満足に動かないってイヤでもわかったから、諦めるには丁度いい機会だと思ってね。ふと髪を染めてみようか、と思ったけどこの髪色を存外気に入っているもんだからやめた。人目につかないように夜明け前に出たから外は暗くて、肌寒かった。
 琴音が気になってたお菓子の店に行こうって約束とか、慶一に猫を撫でさせてやる約束とか、俺達で軍の頂点に立つ約束とか、できなかった事が頭にぽつぽつ浮かんできてはその度に白軍基地に向かう歩みが止まった。けど俺は現状に耐えられなくて、家族を捨てて、名前だって捨てて自由を選んだ。目が熱くて視界が潤む。俺は意地でも泣きたくなかった。なんたって東雲家の跡取り息子だからさ、皆が不安にならないよう笑ってないと。まあ、そんな人ももういないんだけどね。俺の選択は間違ってなかったって、誰かに言ってもらいたかったな、なんて頭の片隅で思いながら俺は『東雲雨音』を捨てた。



 黒軍の学校とよく似た講堂に、どこもみんな同じもんなのかねぇ、とぼんやり思った。長ったらしい先生の話をゆるりと聞き流す。白軍としての初めての一年が始まった。まあ俺は一年生としてじゃなくて二年生からなんだけど。高校二年生ともなれば友人関係もだいぶん構築されてる頃かな。人に深入りされないくらいに関わる分には都合がいいかもしれない。
 他人の呼び方だって変えてしまおう。名前で呼び捨てはやけに親しい感じがするからね。名字にちゃん付けとか。……うん、軽薄そうでいいな。右手の怪我もひた隠しにしよう。手に負担をかけるような訓練はサボってしまえばいい。それを続けてれば誰も俺に期待するなんてことしないだろうし。それと、腕の醜い傷痕を見られたくないから、夏も長袖でいよう。ちょっと暑いけど、しょうがないよな。あぁ、一人で寝るのはまだ怖いから適当な女の子と一緒に寝てみようか。
 淡々とこれから作っていく俺を想像していると「あの」と声をかけられた。どうやら今は一緒の隊の人に挨拶をする時間のようだ。ぼんやりしてた俺に声をかけてくれたらしい。ごめんごめん、ちょっとさっきまで未来の俺のこと考えてたから、なんてね。信頼すべき同じ隊の人達とも、自分を守るために一線引かなきゃならない。弱い俺はこれ以上傷つきたくないからさ。
「二年生の暁時雨。自由に呼んでくれていーよ。よろしくね。」
 暁に雨なんて未練がましいな、と心の中で自嘲しながら、俺は目の前に立つ宝石のように煌めく金の瞳の少年に笑いかけた。

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