Sekai In Futon
幸瑶と祐喜はもう二十二歳になった。
酒も煙草も合法的に買える歳で、所謂大人というやつだ。しかし、簡単に人を殺す人間を作り上げる気の狂った学園においては法などないようなものである。十代の頃から煙草を吸うヤツは吸っていたし飲酒だってしていた。祐喜は酒に強くて意外と幸瑶は弱い、なんてことも十代のうちに知っている。買いやすくなるのが二十歳からという違いくらいにすぎない。
学園の崩壊というとんでもない卒業の仕方をしてから幸瑶と祐喜は二人暮らしを始めた。そんなに騒がしくない、海に近い所にあるマンションに住んでいる。色々な酒を売っている隠れた名店が家から歩いて十分もしない所にある、ということを知ってからは近所のコンビニで買うことも少なくなった。そもそも幸瑶が酒を買おうと身分証明書を提示しても信じらないという顔をされるから、コンビニで買うことはあまり好きではなかったのである。「もっと身長がほしかった。」と酒を飲みながらボヤいていたのは祐喜の記憶に新しい。
幸瑶は酔うと普段言わないような事まで言い出し、結構表情が変わるので祐喜は二人で酒を飲む時間を案外気に入っていた。なんたってあの幸瑶が祐喜に愛を口で伝えるのだ。いつだって言葉少なで表情はほぼ変わらないし本当に祐喜を好きなのかすらわからないような幸瑶が、祐喜に。今日は二人で飲むと言って約束を取り付けた日なので祐喜の機嫌は最高潮だ。ルンルンと潮のにおいがする道を歩く。あぁ楽しい。マンションのエントランスを抜けてエレベーターに乗る。ボタンをぽちっと押して、束の間の無重力さえ楽しんだ。二階、三階、四階……ドンドン上っていく。目的の階についたとき、チンと軽やかな音を鳴らしてドアが開いた。二人の部屋は角部屋なのでずっとつきあたりまで進んでいく。表札のかかっていない赤みがかった焦げ茶色のドアの前までテクテクと歩く。家の鍵をポケットから取り出しガチャリと開けて二人の部屋に入る。いい香りが玄関まで漂ってくる。ワインやら焼酎やらを買って帰ってくる間に幸瑶はつまみを作って待ってくれているのだ。
「幸瑶ただいま~!」
「おかえり。」
その返事に祐喜はニコニコと眼尻を下げて笑った。「ただいま」、というと「おかえり」と返ってくることに最初はむず痒さを感じていたが、今となってはただただ嬉しくてしょうがないのだ。
「幸瑶が美味しいって言ってたお酒あったから買ってきたよ~。」
「あ、ありがと。つまみあとちょっとで出来るから待ってて。」
「はーい。」
買ってきたお酒をテーブルの上に置きグラスを二つ用意して幸瑶を待つ。学生時代なんかはこの間に毒を盛ったりしたものだが、歳が上がるにつれその行動は少なくなっていった。俺の愛の伝え方のバリエーションが増えたんですよ。
「おまたせ。」
そういって幸瑶はナムルやらチーズやらを入れた皿をことりことりと次々にテーブルに置いた。いつ見ても幸瑶の作るものは美味しそうだ。
「ん!じゃあ乾杯しよ!」
ワインを注いだグラス同士をカチン、と合わせる。
「乾杯。」
「乾杯~!」
ぐっと一気にあおった祐喜に対して幸瑶はチビチビとお酒を飲み始めた。
「ボクもさぁ、ベルギーとか行って美味しいチョコレートの店に行ったりしたいんだよねぇ。」
「んー、行く?」
「そんな簡単に行けるもんじゃないでしょ。大体外国語話せないし。」
酔いが回ったのか、だんだんと幸瑶が喋り始めるようになった。今回はグラス二杯、と祐喜は頭の片隅にメモをする。前回幸瑶がこんな状態になったのも二杯だった。二杯が限界なのだろう。
「そういやさ、なんで幸瑶は俺と一緒にいてくれてるの?」
いつもなら軽くあしらわれる質問も今の状態なら答えてくれるのは今までで学んだことだった。
「祐喜が好きだからに決まってるでしょ……。人生かけて嫌いなヤツの相手するほどボクはお人好しじゃないしね。」
ほら、答えてくれた!祐喜は心底嬉しそうに笑う。
「ふふふ、俺も幸瑶のこと好きだよ。」
「知ってる。」
ふーんと知ってるの違いが大きいということも祐喜は知っていた。ニマニマしていると隣からカチッというライターをつける音が聴こえた。幸瑶は二年程前から煙草を吸い始めた。と言っても吸う頻度は少なく一日に二本吸えば多い方だ。殺しの標的がいる場所にたまたまチョコレート味の煙草があり、それを試しに吸ってみると案外悪いものじゃなかった、らしい。祐喜は吸ったことがないしそこのところは分からない。ふわりとチョコの甘い匂いが漂ってくる。この銘柄を吸っている人は少ないのか街中ではなかなか会えない匂いだ。その分、この匂いがすると幸瑶が近くにいるのかと思ってしまう。幸瑶がふぅと息を吐き出すと煙が出てくる。以前、輪っかは作れないのかと聞いてみたところ「まだ無理」と返された。いつか作ってくれるだろう。
「今何時?」と聞かれ、壁にかけられた時計を見る。ちなみにこの時計は数年前祐喜が勝手に買ってきたものだが、幸瑶もいいと思ってくれたのかずっと家に置いてある。「祐喜センスいいよね」と素面のときに言われたのが嬉しくて飛び跳ねて喜んでいたものだ。
「十二時前かなー。」
「そっかそっか。」
祐喜は煙草を吸う幸瑶を見ることが好きだった。格好いいし、様になっている。最初の頃はよく見とれていた。幸瑶はよく祐喜の容姿を褒めるが、幸瑶だってかなり顔の整った方だと思う。特に横顔とか。身長のせいで子供に見られがちだけど、長い前髪を上げたら割と艶っぽい顔をしている。伏し目になったとき頬に落ちるまつ毛の影が祐喜は好きだった。
「祐喜。」
「ん?」
幸瑶の方を振り向くと煙が祐喜を襲う。チョコレートの匂いが祐喜を包んだ。優しくて甘い、まるで幸瑶のような匂いだ。むせて軽い咳を繰り返していると幸瑶に背中をさすられた。幸瑶の方を見ると何が面白いか「ふふ」と笑っていた。穏やかに微笑みながら祐喜を見つめる。
「な、なに、どうしたの。」
「んー。夜のお誘い。」
「え、あ……?」
「さっき、ちょっと思い出してさ。」
何でもないことのように幸瑶は煙草を吸いながら言う。普段、幸瑶はこんなことをするようなキャラじゃないことは祐喜がよく分かっていた。顔が熱い。酔いがまわってきたのだろうか。
「明日ボクら休みでしょ。一日ベッドにいても問題ないよ。じゃあボク風呂入ってくるから。」
そう言い残して幸瑶は笑って煙草の火を消した。