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 一回目の失恋は、恋心を自覚したときだった。男同士。主従関係。跡継ぎ。色んなことを考えて、俺はこの気持ちに蓋をした。いつか、いつか成就するかもしれない、なんて淡い願望を持って。
 そして二回目。相手は全く同じ人で、その人の視線の先には別の人がいた。この感情を見ないふりをしていた。そう、ふりをしていただけ。確かに恋慕は俺の中にあった。
 コンコン、と見慣れた扉をノックする。「どうぞ」と少し高めの声で返事がきたのを確認してから扉を開けた。ノックなしでもいい、と部屋の主の許可は得ているものの、礼儀として。
「梓、どうしたの。」
「あ、えー、はは、……ちょっと、しんどくて。」
 俺より背の低い綺麗な青い髪をした少年──楓は俺の顔を見て少しだけ怪訝な顔をした。命をかけてでも守りたいと思う、唯一の家族。
「またアイツ関係で何かあったの。」
 アイツって、仮にも俺達の主だぞ。と言っても楓の主人はここにはいない、想い人が執着している兄の方だけど……。なんて本題とは関係の無いことを思いつつ、楓のこれはなおらないと知っている俺は苦笑しながら肯定した。
「いや、なんつうかさ、はは……。失恋……して……。」
 言葉切れ悪く返した言葉で、再び俺は傷ついてしまった。馬鹿だなぁ。どうしようもない恋をして失恋した。それの再確認。あぁ、心臓が痛い。手足が少しずつ冷たくなっていく感覚に襲われる。
「うん、でも俺、俺はわかってたし、いつかこんな日がくることも知ってた。だから、大丈夫だと、思ってたんだけど。」
「……。」
「思った以上に、ダメージがでかい……みたいな……。」
 無言で俺の話を聞いてくれる楓の方を見れなくて、俺は視線を床に落とした。すっ、と楓が俺の方に近寄って手を取り、ベッドの方へ座るよう促してくれた。気づかない間にかなり力を込めていたようで、掌には爪の痕がついていた。
「いいんだよ、これで。うん、よかった。俺と付き合うよりずっと祝福される。楓もそう思うだろ?」
 自分に言い聞かせるようなその言葉に反応はなかった。なんか言ってくれよ、と耳に届いた自分の声が死にそうで少し笑いそうだった。あまりにも情けなくて。
「あはは……。俺、俺は……、相楽坊ちゃんの幸せを願ってたはずなんだ。なのに、なのになんで、心の底から幸せを祝えないんだろうなぁ。祝いたい。祝いたかったよ。」
 なんでかなんて全部わかってる。俺が幸せにしたかった。ただそれだけ。俺はもっと、綺麗な人間だと思っていたのに、全然そんなことなかった。欲望に塗れた人間だった。そりゃそうか。自分を完全に捨てて他人の為に生きるなんて、心の壊れた人形か完璧な聖人しかできない。俺はただの人間で、人形にも聖人にもなりきれなかった。
「誰より幸せになってほしい筈なのに、不幸になってしまえなんて思ってる。選択を間違えたって思ってしまえなんて。明日も坊ちゃんの隣にいたいのに、いたくない。明日なんかきてほしくない。ずっと昔に囚われていたい。はは……、こんなの従者失格だろ。」
 自嘲気味に笑った俺は独白を続けた。楓より兄ちゃんなのに、本当に不甲斐ないな。自分の弱さを痛感して、言葉を重ねる毎に自分が嫌になっていく。それでも溢れ出す感情は止められなくて、俺のプライドなんて知ったこっちゃないとでも言うかのように口は動き続けた。
「俺の方が、あの人より坊ちゃんを知ってて、好きだって、そんな無意味なことずっと思ってる。どうしようもない。そんなこと思ったって、もう遅いのに。」
 俺は何もしなかった。いや、何も出来なかった。拒まれることが怖くて、理由をつけて逃げていた。……心のどこかで、坊ちゃんは俺のものでいてくれるだろう、そんなことを思ってしまっていた。なんてバカバカしくて愚かなんだろうな。傲慢にも程がある。身の程を知れよ。
「俺の知らない顔を誰かに向けてほしくない。俺の、俺だけの坊ちゃんでいてほしい。……いつからこうなっちゃったんだろうなぁ。昔は傍にいれるだけで十分だったのに。」
 目が熱くなってすべての輪郭が曖昧になる。このまま全部溶けて一つになってしまえばいいのに。そしたら、こんなこと思わずにすむのに。喉奥から無理矢理絞り出すように出した声は震えていた。
「こんな気持ち、捨てれたら、よかったのに……。」
 そう、よかったのに。俺はわかっている。きっとこの感情はずっとずっと俺の中で燻り続けて、いつまでも俺を苦しめることも。馬鹿みたいにデカい後悔に胸を刺されながら生きていくことも。ああ、もう──
「僕が殺してあげようか。」
 まるで心の中を見透かしたような楓の言葉。そんなこと言うなよ、どっちを、殺したあと楓はどうするんだ。それのどれでもなく、ただ俺はぼんやりと「頷けたら楽なのになぁ」と思った。
「……いや、いいよ。俺は……。」
 こんな気持ちでずっと相楽坊ちゃんの傍にいれるんだろうか。いていいんだろうか。黒い感情を全て押し殺して、何でもないふりをして、従者に徹する。それは、坊ちゃんに隠し事をしていることに、なってしまうんじゃないか。そんなことを未だに思う。……。でも、それでも。
「最後まで……傍にいたいから。」
「……そっか。」
 未練がましい俺を楓は真っ直ぐに見ていた。ちゃんと何もかも隠すから。もう淡い願望なんて抱かない。優しさに嬉しくなったりしない。従者としての距離を保つから。だから、傍にいることだけは許してください。誰かに責められたわけじゃないし、誰もこんなことに興味はない。だけど、俺は何かに許されたかった。その何かが神様なのか、坊ちゃんなのか、坊ちゃんのお相手なのかはわからなかったけど。
「ごめんな、こんな話して。もっと、楽しい話ができたらよかったのにな。」
「気にしないで。相手は僕なんだから泣いたって大丈夫だよ。」
「あはは、ありがとう。」
 目の前にいる大切な家族の頭をゆっくりと撫でる。楓が俺に強い感情を抱いていることを、ズルい俺は知っていた。そんな楓に甘えて、俺は楓を頼った。きっと誰よりこんな俺を見たくないだろう。それでも、俺は頼れる場所がなくてここに来てしまった。自分じゃ食べきれない感情をどうにかしたかった。
 この部屋に来るまでに、何度も「楓を一番好きになれたらいいのに」なんて最低なことを考えては、自己嫌悪に陥った。そんな誰かの代打のような感情で楓と向き合いたくなかった。坊ちゃんの替わりも楓の替わりもこの世には存在しない。それをわかっているのにも関わらず、最悪な案を浮かべてしまった自分が本当に嫌になった。
「じゃあ、俺は部屋に戻るよ。」
「……戻って大丈夫なの?」
 大丈夫か、と聞かれて言葉が詰まった。わからない。わからないけど、きっと明日も俺は存在している。だから、大丈夫。そう思いながらベッドから腰を上げた。
「すぐ寝るから、そんなに心配するなよ。楓はあんまり夜更かししないようにな。」
 朝辛くなるぞ、と言って俺は扉に手をかける。と、楓が後ろから優しく抱きしめてきた。まるでここに繋ぎ止めるかのような仕草に胸が締め付けられる。
「……。いつでも頼って。」
「……ありがとう。」
 抱きついていたのは一瞬ですぐに俺を体から離した。何かを言いかけてやめたことを察したけど、楓にかける言葉を見つけられなかった。いつもこうだ。本気で俺のことを考えてくれる楓に、揺れる俺は何も声をかけられない。楓には酷い事をしてしまっていると思う。責められても仕方ないのに。……本当にどうしようもない、そう思いながら俺は扉を閉めた。

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